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「松島の月まず心にかかりて」と記された名文の由来を調べてみた。観応年間(1351)の「慕帰絵」第6巻(国重要文化財指定・西本願寺所蔵)に松島の月が既に描かれている。時を同じくして、宗久が『都のつと』に「奥の細道」を記している。それより50年前の徳治二年(1307)、22年間島に籠り、修業した頼賢の高徳を伝えるために、円福寺(現在の瑞巖寺)の僧侶・2人が「奥の細道」を経て、鎌倉・建長寺第十世「一山一寧」を訪ねた。この一山が筆を染めた草書の碑文が翌年、松島・雄島に建てられた。これが「頼賢の碑」(国指定重要文化財)である。こうして六十余州に、儒教、鎌倉仏教と共に「松島の月」の素晴らしさは、広く知れ渡ったと考えられる。芭蕉が松島の月を意識し、冒頭に記した理由を見逃す事は出来ない。連句の構成から見て、当時の紀行文の構成をはるかに越えた芸術的展開と見たい。以下「日光」で象潟と共にふたたび松島が登場する。芭蕉の松島への期待は計り知れないものを感ずる。
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